not perfect but best
初出:Jan.00.

 彼らは完璧に見えた。
 一人でいれば欠けたものも多く、一人でいれば不安定だけれど、二人は互いを補い合う。
 彼が必要とするものは、彼女がすべて与えた。
 彼女が望むものは、彼がすべて持っていた。
 彼女が彼のためにあることは明らかだった。
 彼が彼女によって生きる意志を得たことは、疑いようもなかった。
 二人、並んで立てばまるで一枚の絵のように完璧で、二人はともにあることが当然に見えた。
 

「え? そんな、完璧なんかじゃないですよ!」
 私の言葉に彼女は慌てたように手を振って言ったものだった。
 ユニオン・テオーぺとの死闘の後、そのときの怪我が原因で3日間昏睡状態に陥り、その後も記憶の混乱を招くほどの痛手を受けた彼女は、その後もしばらく、こうしてわしのもとに検査に通っていた。
「そうじゃろうか?」
「そうですよ! あたしは……銃の腕だって全然上がらないし。撩の足、引っ張ってばっかりで……」
 彼女は少し哀しげに笑った。
「それどころか、照準を合わせてもらってから、この銃自体、一度も使ってないし」
 彼女の手には、そのとき小さな銃が乗っていた。
「あの男には今以上の強さなぞ必要ないじゃろうて」
 かといって、その男もまた一人でいるころは完璧さとは程遠かったが。
「何より、撩は君にそんなことを望んではおらんじゃろう」
 男は、彼女のその手が血で汚れる様など、見たくないに違いなかった。
 けれど、彼女は複雑な顔で笑って見せた。
 そして、その視線は手の上に落ちた。
「……スイーパーが自分の相棒に、人殺しはして欲しくないなんて、変なことですよね?」
 わしは黙る。
「今でもたまに、あたしはやっぱり、撩にはふさわしくないのかなって思うんです。銃の腕とか、そんなことじゃなくて、もっと根本的にって言うのかな。あたしが撩のそばにいること自体不自然なのかなって」
 不自然──そう言われればその通りなのだろうと気づく。
 二人並んで立つ姿は自然に過ぎて、そのことを忘れる。
 彼女も、彼も、互いにそばにいるために無理をしなければならないのは、まぎれもない現実だろう。
 それでも、互いを必要とする二人がそばにあるという事実の前に、忘れていた。
「確かに君はあの男の隣にいるには、いささかきれいすぎるのかもしれん。じゃが、それは今さらじゃろう? 違うかね?」
 彼女はわずかに微笑んだ。
「あたしは、そんなにきれいな存在じゃないですよ」
 不意につぶやきが零れ落ちる。
 指が、銃を愛しげになぞっていた。
「それは確かに、あたしには人を殺した経験なんてないけど」
 でも、と彼女は静かな目をして言った。
 ──撩のためになら、あたしにはいつでも、人を殺す覚悟がある──
 だから、あたしはきれいってわけじゃないですよ、と少し笑って彼女は語った。
「どうせ覚悟をするなら、その手を汚さん覚悟をしなさい」
 彼女は落としていた視線を上げた。じっとわしを見つめてくる。
「ただ、もし、いつか、どうしてもその銃を使うときが来るなら、そのときは、自分の命を守るために使いなさい」
 ──それが何より、彼のためになるだろうから。
 そう、わしは言った。

 人は変わるものだと、つくづくそう思った。
 彼女がはじめてここに来た頃は、まだ子供っぽさが残っていたものだが──。
 なるほど、思えば昔の彼女は原石であったのだろう。うまく磨かれればぴかぴかに光るのは、ちょっと目のある人間になら自明だった。
 元より輝きは確かに込められていた。美しくなるだろうことはたやすく想像できた。
 ただ、彼女は自分で自分で自分を磨き上げた。それも周りが想像した以上に。
 あの男は自分がどれほどの果報者か理解しているだろうか。
 『男のせいで』、『男によって』変わる女は多くとも、『男のために』変わってくれる女などそうはいないのだ。
 

 その果報者は庭の池を眺めていた。いや、池を見ているようで実はなにも見ていないのかもしれない。この男の考えを読むことは、わしにとっても著しく難しい。
 なにを考えているかまるでつかませない表情で、男は視線を向けてきた。
「香は?」
「かずえ君と話しとるよ。今日も異常なしじゃ、もう心配はいらんじゃろ」
「そうですか……。お手数かけました」
 男の瞳がかすかにやわらぐ。
 ああ、思えばこの男も変わったのだったと改めて知った。
 彼女の兄がきっかけを作り、彼女のために変わったのだろう。
 かつてはどこをどう探しても、本能の内以外には決して見出せなかった『生き延びる意志』を、今の彼は確かに持っている。

「前にもこうしてここで話をしたことがあったの。香くんのことで」
「そんなことがありましたっけねえ?」
 ポリポリと頭を掻きながら、男はこれ見よがしにごまかして見せた。
「いつだったか……そうそう! 彼女がお前さんに愛想をつかしてわしのところに飛び出してきたときのことじゃったな、あれは!」
 まさに今思い出したように言って見せた。
 その代わり、『愛想を尽かして』に、さりげなく力を込めてやる。
 男は嫌そうな顔をしたものだった。

「今でも、彼女を手放そうと思っとるのかね?」
「いいえ」
「もう、迷いはないと?」
「迷うことは、おそらく、もう……。これで本当に良かったのかという悔いはこの先もずっと付き纏うでしょうが」
「そうか」
 男はほんの少し笑ったように見えた。
 ──ええ──
 哀しげにすら見えたが、それでも、確かにそれは笑顔だった。
 

「さて、と。じゃあ、かずえちゃんをナンパしに行きますかね」
 こういう話をした後で、さらっとこんなことを言う──。
 照れ隠しなのはわかっているが、香くんには同情を禁じえない。
 そして、その彼女の声がうしろからかかる。
「誰を、何ですって?」
 ピシッと音を立てて空気が凍るのを感じた。
「か、香ちゃん、いたの……??」
 男が顔をこわばらせてゆっくりと振り返る。
「えぇ、いま来たところよ。で? 誰をどうしようですって?」
「いや……かずえちゃんをね……」
 男の声がどんどん小さくなっていく。
「かずえさんを?」
「……パ、しよ〜かな〜と」
「よく聞こえなかったわ? もう少し大きな声で言ってくれるかしら」
「だからね……かずえちゃんを……ナンパしよーかなー……と」
「そう」
 彼女はにっこり笑って短くそう答えた。
 無論、その直後にズドン!という音を立ててハンマーが叩き下ろされたのは言うまでもない。
「やれやれ」
 わしは苦笑して彼らを見送った。
 

 彼らは完璧に見えた。
 しかし、彼らは完璧ではなかった。
 共にある限り付き纏う苦しみと不自然さは、彼らに完璧な形を許しはすまい。
 これまでも、これからも、事あるごとに迷いと悔いは二人の間に姿を現し、消えることはないのだろう。

 それでも、彼らは離れることが出来ない。

 悩みもある、痛みも、障害もあるだろう。
 不安さえも、消える日はないに違いない。
 しかし、二人ともにあるその幸福には代えられなかった。

 完璧ではなく、自然ですらなく。
 それでも、彼らは互いを選んでしまったのだから。
 そう唯一、最良のパートナーとして。

<fin>