男と少女と星占い
初出:July.04.
  女の子が好きなもの、というと、世の男性はどんなものを思い描くだろうか。
 例えばケーキ。もしくは話題の男性アイドル。あるいは素敵なお洋服。ブランドもののアクセサリーにバッグ。
 なるほど、確かにどれも世の女の子が好きそうなものではある。が、その一方でそうしたものが嫌いだったりする女の子もいないではない。取り立てて興味がないというところまで範囲を広げるならば、その数はたぶん、意外と多いだろうと思う。
 では、女の子が好きなものは何か。
 そのひとつは「占い」だろう。
 マンガでも、ファッション誌でも、女性向けの雑誌には必ずと言っていいほど星占いが載っているものだ。そして、そうしたページを素通りできる女性はそんなに多くない。
 もちろんページに目を通す積極性にはそれぞれ大きな違いがあるだろうけれど、例えばこれが現在片思い真っ最中の女の子なら大変だ。彼女たちは自分の運勢に気を配り、ラッキーグッズやラッキーカラーやラッキーポイントに細心の注意を払い、さらにこっそりどこかから聞き出した思い人の今週の傾向にまで目を通す。自分と彼の星座間の相性は、当然のことながら真っ先に調べているだろう。
 恋する女の子は必死なのだ。その必死さのベクトルが、男性にはいささか理解しづらい方角を向いているとしても。
 そして、ここにもひとり、まさにいま星占いにはまっている女の子がいた。
 彼女が星占いにはまっている理由は残念ながら(?)彼女自身の恋愛のためではないけれど、その必死さは恋する女の子たちに勝るとも劣らない。
 彼女は名前を浦上まゆ子と言う。優しくてカッコイイ自慢のパパと、入院先の病院で偶然知り合って大好きになった「香さん」をくっつけるために現在暗躍中……というより、驀進中の10歳である。
 彼女がただいま躍起になっている星占いも当然ながらその二人に関してだった。
 もっとも、視力を失っている彼女にとってはただ雑誌に載っている星占いを見る、というのも簡単にできることではない。タイムリーな情報を得るためにはどうしても他人の力に頼らざるを得ない。病院にいる時なら滝川さんに読んでもらえば済む話だったが、どういうわけか命を狙われて冴羽宅に避難中の現在、こういう時に頼れる相手は非常に限られていた。
 

「冴羽さん、いる?」
 まゆ子はまだ完全には慣れていない余所様の家のリビングに何とか手探りでたどり着くと、中に向かって呼びかけた。「おう」と寝ぼけたような声が返ってくる。声の発生源はまゆ子の耳より低かった。いつものようにソファで寝そべっていたらしい。
「読んで欲しい本があるんだけど」
「あぁ?」
 男はめんどくせえなあと呟いた。
 香さんはまゆ子の命を狙う連中を追って外を駆けずり回っているのに、それをこれ幸いと昼日中からごろごろしている男がよく言うと思う。
 まゆ子の表情から言わんとしたことを読みとったのか、男が起き上がる気配がした。
「本ってな……どんな本だよ。絵本か?」 
「違います」
「マンガか?」
「違う」
「エロ本」
「そんなわけないでしょっ! これっ!」
「だっ」
 どうやらまゆ子が突き出した雑誌の角が男の鼻先あたりにぶつかったようだった。 
 つぅぅ〜〜と呻く声にまゆ子は少し慌てる。
「や、やだ。大丈夫?」
「……なんとか」
 かなり頼りない声と共に、手にしていた雑誌が引っ張られる感触があってまゆ子は手を放した。
「なんだぁ? 占いブック?」
 男はそう洩らしながらぽんぽんとソファを叩く。空いてるから座れ、の合図だ。まゆ子は男の隣にすとんと腰を下ろした。
「その本のね、今週の星占いのとこを読んでほしいの」
「今週の星占いってな……。うわっ、これ週刊誌かよ」男が呆れたように呟いた。「っとに女ってのはこういうモンが好きだよなあ」
 呆れたのはまゆ子の方だ。
「冴羽さん、なんでそんなに女心がわからないのに女の人にもてるのか不っ思議」
「……」男は優に一拍は沈黙した。「ガキにはわからねえ男の魅力ってやつだな」
「負け惜しみってみっともな〜い」
「口の減らねえガキ……」男はぼやいたが反論はできなかったらしい。「で? 今週の星占いを全部読めって?」
「あ、ううん」まゆ子は首を横に振って、星座の名前を二つ挙げた。「その二つの分だけでいいわよ」
「へいへい」
 ぱらぱらとページをめくる音がする。占いの結果を待つまゆ子の胸は否が応でも高鳴った。
「えーっと、『今週の牡羊座の男性は……』」
「あ、牡羊座は、女の人のとこだけでいいから」
「へーへー。『今週の牡羊座の女性は、ちょっとした事に動揺したり、わけもなく不安になったりする時期です。自分にとって何が大事か慎重に見極めて、気持ちに張りを持って乗り切りましょう。』……」
 男の声が後半、なんだか力を失ったのを感じてまゆ子は首を傾げた。
「どうかした?」
「これ、ひょっとして香とおまえのパパの占いか?」
「当然! それで、続きは?」
「あー……っと。『恋愛運。恋人がいる人は、得体の知れない不満が生まれやすい時期です。愚痴や軽々しい行動は慎みましょう。何気ない感謝のひと言が吉。シングルの人は、今週始まった恋は結婚に結びつく可能性が高いです。』……」
「きゃー!!」
「うおっ。な、なんだあ?」
「やったわ!」まゆ子は思わず叫んで立ち上がった。「聞いた!? 冴羽さん!」
「俺が読んだんだっ」
 男のつっこみを無視してまゆ子は一気に盛り上がった。ぱちんと両手の平を合わせて小さく跳びはねる。
「今週中にパパと香さんがくっつけば、そのまま結婚まで行くのよ! きゃあきゃあ!」
「そんな単純に行くかっての……」
 男が小さくぼやく。
 まゆ子は跳ねるのをやめて半眼で男を睨んだ。
「あら、香さんがパパとくっつくのは冴羽さんにとってもいいことじゃなかったの?」
「や……そりゃ、……まあな」
「でしょ」
 まゆ子は再びソファに腰掛けた。
 なんだか胸がちくちくする。悪いことをして、それを隠しているときのような気分だった。
「冴羽さん、それで?」
「あ?」
「続き!」
「ああ、……えーっと。『ただし、この時期にあなたの元を去る男性は追ってはいけません。ラッキー・アイテムはピンクの口紅。ラッキー・スポットは喫茶店。』」
「喫茶店ね!」
 ぐっとまゆ子は両手の拳を握る。頭の中ではめまぐるしい勢いで二人を──それも出来れば二人だけで──喫茶店に行かせるための計画を組み立てた。そして、出来る、とまゆ子は確信する。「パパ」の性格を考えれば、ちっとも難しいことじゃない。
「ね、ね、冴羽さん。じゃあ、パパの運勢は?」
「はいはい」……
 

 そうして溜息混じりにも一応ちゃんと男が読み上げた占いの内容は、まゆ子にとって期待した以上のものだった。これはもう、天がまゆ子に味方してくれているとしか思えないくらいだ。数年前、視力と、何より「ママ」を奪われたことを思えば、今そのくらいの恩恵があっても不公平じゃないとも思う。
 視力を取り戻し、「新しいママ」に香さんがなってくれるなら、こんなに嬉しいことはなかった。
「あー、これでいいのか?」
 男が尋ねてくる。うん!とまゆ子は勢いよく頷いた。
「おまえの分は?」
 ちょっと考えて、今度は首を横に振る。
「ううん、わたしのはいい」なんと言っても読んでもらわなければ行けない立場だし、十分だった。「冴羽さん、ありがとう」
「どーいたしまして」
 男の口調は投げやりだったが、意外と優しくも聞こえた。
 「冴羽さん」という人がこういう人物なのだということは、まゆ子も良くわかるようになった。
 めんどくさいと言いながらも、まゆ子が何か頼めば男は必ず付き合ってくれるし、口で言うほどイヤな態度は見せない。口では「いつでも頼ってね」などと言いながらいざという時にはちっとも手を貸してくれない、もしくは手伝ってくれてもいかにもイヤそうにする人がいっぱいいることを考えれば、この一見どうしようもなさそうなおじさんは、実はたいそう優しい。
 香さんがパパとくっついてもいいっていうのが本当に本当ならいいな、とまゆ子は思う。
「ねえ、冴羽さん……」
「あん? 気が変わったか?」
「そうじゃなくて」
 まゆ子はそこでちょっと言葉を切った。本当は香さんのこと好きなんじゃないの?とか、香さんとパパがくっついても本当にいいの?とかいう質問が頭の中をぐるっと一回転した。
 でも、きっとちゃんと答えてくれないだろう。ちゃんと答えられても、困るかも知れない。
「ええっと……」結局、苦し紛れにまゆ子は言葉を続けた。「冴羽さんって何座?」
「しらねえ」
 まったくどうでもいい質問だったのだが、即答で返ってきた内容にまゆ子は目を丸くした。
「えー! 知らないの!?」
「んなことでいちいちデカイ声出すな!」
「あ、でも、パパもそうだったかも。男の人ってそういうもの?」
「そういうもん」
「それなら、その雑誌に書いてあるでしょ。何月何日生まれなら何座かって。調べてみたら」
「あ? ……ああ」
 男の返事はいきなりぼんやりしたものになった。寝ぼけてだらけている声とは少し違う。こういうのを歯切れが悪い、というのだろうかとまゆ子は首を傾げた。
「そういえば、冴羽さんの誕生日っていつ?」
 まゆ子は足をぶらぶらさせながら待ったが、男は返事をしない。
「冴羽さん、聞いてる!?」
「あ〜。聞いてる。聞いてますよ〜」
「ねえ冴羽さん、誕生日は?」
「ん……」
 また、男はすぐに返事をしない。はぐらかすわけでもなく、ただ黙るのでひどく気色が悪い。
 まゆ子はわずかに心配になった。何か、聞いてはいけないことを聞いたのだろうか。でも百歩譲ってこれが年齢ならともかく、誕生日を男の人に聞くのにそれほど問題があるとは思えなかった。
 仕方がないし気持ちが悪いしで、彼女はつんけんした態度を貫く羽目になる。
「ケチんぼ! いいじゃない、誕生日くらい教えてくれたって」
「ケチんぼってな。なんか久しぶりに聞いたぞ、そんなフレーズ」
「誕生日を教えるくらい、いいじゃない。減るもんじゃなし。ケチケチ!」
「が、ガキ……」
 男が呻く。
 まゆ子はふくれた。こうなると、もう意地だ。
 根負けしたのか、はぁ、と溜息をつく気配が伝わってきた。それでもまだしつこくちょっとした沈黙が続き──
「……三月」と、ようやく男は呟くように言った。「にじゅう……、ろく」
「3月26日?」
「……、ああ」
 返事にヘンな間が空きがちなことは気になったが、まゆ子はへえ、と声を上げた。
「香さんと五日しか違わないんだ」
「まあ、な」
 じゃあ冴羽さんも牡羊座よ、と言おうとしたまゆ子は、男の返事に開きかけた口をつぐんだ。あれ?と思ったのだ。なんだか男の声が少し……今、本当にほんの少しだけ、笑ったように感じた。
 まゆ子は眉を寄せた。
「冴羽さん、もしかしてわたしのことからかってる? 嘘ついてない?」
「はぁ?」男は頓狂な声を上げた。「意味ないだろ、こんなことで嘘ついても」
 その割に最初はちっともしゃべろうとしなかったくせに、とは思ったが、確かにその通りだ。
「間違いなく3月26日?」
 念を押すと、男はハッキリと少し笑ったようだった。
「まゆ子。おまえさ、自分の誕生日って覚えてる?」
「あったり前でしょ」
「ほんとにそうかあ? 誕生日ってのは自分が生まれた日のことを言うんだぜ?」
「……あ、そっか」まゆ子は男の言わんとする意味を諒解した。「自分が生まれた日が何日だったかなんて、ほんとは自分じゃわからないんだ。覚えてないもんね」
「そーいうこと」
 だったらどうすれば自分の誕生日は間違いなくこの日だと言えるんだろう?
 まゆ子は腕を組んでしばらく考える。
「でも、やっぱり間違いないって言えるわよ、わたし。だって、パパとママがその日だって教えてくれたし、お祝いしてくれたもの」
「そうだな」男はゆっくり言った。「それなら、俺の誕生日も3月26日で間違いねえよ」
 その声に、まゆ子はびっくりして見えない目を瞠った。
 男の声は今まで聞いたことがないくらいやわらかかった。
 驚いたままぽかんとしていると、自分の体がほんの少し波打つように揺れた。同じソファに座っていたやたら図体のデカイ(らしい)男が立ち上がったようだった。
「さってと……香のやつ、どこほっつき歩いてんだか」
 そういった男の声はまったくいつも通りで、まゆ子は我に返った。
「香さんを迎えに行くの?」
「そんなめんどくさいことするわけないだろ。しょうがねえから自分でコーヒー淹れるかってハナシ」肩をすくめるような調子で男は言って、それからまゆ子に尋ねた。「おまえもなんか飲むか?」
「え? あ、うん」
「んじゃ、ちょっと待ってな」
「はぁい」
 ソファに座ったまま、まゆ子は足をぶらぶらさせた。さっきの「冴羽さん」の口調を頭の中で二回リバースする。
 やっぱり、びっくりするくらい優しい声だった。言葉でどう表現していいかわからないくらいだ。
 でも、似たような感触を知っている、とも思った。
 なんだろう?
 ちょっと考えて、思い出す。
 ベランダに出て顔に陽の光を浴びている時のあの感覚だった。
 暖かくて、すごく優しい。
 あれに似ている。
 大人の男の人でも、誕生日ってやっぱり嬉しいのかな?
 それとも、すごくいい思い出でもあるんだろうか。
 なんとなく後者かなと思いながら、まゆ子の意識はパパと香さんをくっつける計画に戻っていった。
 

<FIN>