美人な彼女
初出:Jan.05.
「な、なんだよぉ……」
 怒鳴られた俺は思わず小さくなって尋ねた。
 よくよくミックを見返すと、もうすっかり二日酔いの気配はどこ吹く風になっている。しかもどうやら本気で怒っているらしい。人を殺しそうな目をしてる。というか、人を殺す時の目をしてやがる。
 ──これはいかん。俺は思わず両手の平を上げた。
「……お、落ち着け、ミック。話し合えばわかる……」
 かもしれない、という一言を飲み込みつつ、とりあえずミックをなだめてみる。こんな質問をするためにしこたま飲ませたのがバレたのだろうか。
 ミックは完全に体調不良を払拭した様子で足を組み、背を伸ばして鋭い視線を送ってくる。そりゃあもう怒っている。なんだか知らないがここまで怒る必要があるのか?
「リョウ……おまえ、今の質問本気だったな?」
 改めてそう尋ねられるとやはり気恥ずかしい。
「う……、まあな」
 俺はそっぽを向いて肯定した。
 ミックの殺気が一段と高まった気がするのは気のせいだろうか。俺は防御と回避のどっちにもすぐに動けようにニュートラルな体勢をとる。
 しばらくそうして耐え忍んでいると、やがて巨大なため息とそれに続くいっそ華々しいくらいの慨嘆が聞こえてきた。
 

「なんっってもったいないっ!! カオリはこんな男のどこがいいんだっ! 今のオレにはたしかにカズエがいるが、カオリがこぉんなロクでもないおかめちんこに惑わされていることに勝る害悪はないっ! オーマイガッ!! やはりこれは今からでもオレがカオリの目を覚まさせてやるべきだと主が仰っておいでなのかっ」
「なに勝手なこと抜かしてやがるっ!」
 だいいちおかめちんこなんて日本語どこで覚えたというツッコミを交えて俺はテーブルを叩いた。
 それに応えるように天に向かって嘆きまくっていたミックが真顔で俺に向き直り、
「おまえカオリと別れろ」
 言い切りやがった。
「だーかーら、何をどうしたらそういう話になるんだよ?」
「考えてもみろ、リョウ」
 ミックはまるで出来の悪い生徒に嫌々ものを教える教師のように解説した。
「たいそうなカワイコちゃんがいるとするだろう。そのコが、そのコの魅力なんてちーっともわかってないロクでもない男に惚れてたらどうする? 面白くないだろ? 目を覚まさせてやりたいと思うだろ!?」
「……おまえさんは俺がそのロクでもない男だと言いたいわけか」
「ったりまえだ」
 あきれ果ててものが言えん、とミックは呟く。じゃあさっきから嘆きまくってるそのセリフはなんだ。
「おまえがカオリのことを美人じゃないと思い込んでるらしいのは、まあ知ってたさ。だけど、それだって手を出すに出せない相手だからこそ、ある程度自分でセーブした結果だと思ってたんだぜ、オレは」
 それが、まさか大まじで気づいてなかったとは、とミックはため息をつく。
「いったいどんな自己暗示を掛けりゃそんだけ見事なフィルターが掛かるんだか。おまえ、催眠術の才能あるんじゃないか?」
 言いたいだけ言って気が済んだのか、最後は苦笑まじりだった。
「つまり、おまえに言わせれば香は美人なわけか?」
「今更カオリがカワイイかどうかなんてことを大まじめに聞かなきゃならんのなら、そんな腐った目玉は捨てちまえ」
「おまえの目こそ悪くなってんじゃねえのか?」
「おお、主よ。やはりこの世の害悪は取り除くべきでしょうか……」
「それはもういいって。……構えを取るなっつの!」
 無表情を装いつつ手首に仕込んだダーツもどきを投げつけられる姿勢を取ったミックを俺は押しとどめた。
「おまえの話は良くわかった。よぉ〜くわかったからっ」
 フン、と海坊主ばりにミックは鼻を鳴らした。
「まぁ、おまえが本気でカオリの魅力に気づいてないのは予想外だったが、人の意見を聞く気になったことは認めてやろう」
 偉そうに言い放ち、ミックはふと顎に指を添えた。
「それにしても、またなんで急にそんなことを聞く気になったんだ?」
「あ〜……」
 それは、予想していた問いかけだった。まさかその以前にこんなにもめるとは思っていなかったが。
 俺はかくかくしかじかと、この疑問にたどり着くまでの経緯を説明した。
「どうしてカオリが絡むとおまえのセリフはそうも言い訳がましくなるんだかねえ」
 と呆れたように呟いてからミックは言い訳がましいという俺のセリフを要約した。
「とりあえず、まずここ数年レディたちの中にカオリを美人だという人間がやたら増えてきたのが最初のきっかけ。
 次にデザイナのエリ・キタハラ……とカオリが親友だったとは知らなかったが、キタハラに飾り立てられたカオリと、途中までそうとは気づかずにデートした時に、彼女がやたら他の男たちの関心を買っていた……と。そりゃそうだよな。あ〜、オレも見たかったな。
 まあ、それは化粧と服のせいだとおまえは体よく自分をごまかしてたが、ミキの結婚式でどういうわけかモッコリレーダーがカオリに反応して、しかも最近カオリと街を歩くと稀に男どもの視線が気に障ることがある──。
 それで、ひょっとしたらひょっとするんじゃないかとようやく思い至った……と」
 俺はソファの上で正座して、そうです、と頷いた。
 ちなみに、街で男どもの視線が気に障るっていうのは別に変な意味じゃなくて! シティーハンタ(おれたち)ーを狙ってる連中の視線じゃねえかと一瞬思っちまうせいだからな!!
 二日酔いがぶり返したような顔をしつつ、手で頭を支えていたミックは、最後にニヤリと笑った。
「で? リョウ。いまオレの回答を聞いてみた感想は?」
「は?」
「は?、じゃねえだろ。は?、じゃ! こと女性の容姿に関する話になると女の子たちの評価は当てにならないし、ファルコンはおそらくだいぶ前からカオリの顔がよく見えてない。街の住人に聞けば、どこにどう話が広がるか知れたもんじゃない。そういうわけで、わざわざこんな面倒くさくもはた迷惑なお膳立てまでしてオレに聞いたんだろ? そのオレの答えは『カオリはカワイイ』、だ。それもとびっきり」
 えらくニヤニヤと上機嫌なミックを横目に、やっぱりばれてたのか、と遠い視線を斜め上にやった俺は、そこで止まった。
 ──回答の感想って、なに?
「………………………………、なんでそこで固まってんだよ、おまえはッ!!」
 ミックの怒声にはたと我に返る。
「え、あ、いやぁ……」
「『え、あ、いやぁ……』じゃねえだろう! おまえはいったい何がしたくてこんなこと聞いたんだよ! その腐った目にびっしり貼り付いたウロコをそぎ落とすためだろ!?」
「は?」
 ちょっと待て。
「なんでそうなるんだよ?」
 きょとんと俺は聞き返す。
 一瞬後、同じくらいきょとんと、ミックに見つめ返された。
 

 誓って言っておく。
 俺にとって、これは極めて素朴な疑問だった。
 疑問だったから聞いてみた。
 まあ確かに、「単なる素朴な疑問」にしては答えを得るために掛けた手間がデカすぎる気もするが、だからといって特別な意図があったわけじゃない。
 強いて言うなら世間一般では香はどう見えてんだ?、というのが気になったのだと憶測できる。その結果によっては多少、あいつの扱いも変えなくちゃならないし。
 そんなわけで、わざわざ聞いたって言っても、それで何がしたかったとか、感想はどうだとか聞かれても……。
「まさか単なる事実の確認か!?」
 まるで人の考えを見越したような叫びがミックの口から上がる。叫びと言うより、もう悲鳴だ。
 答える立場からすると、そんな声を上げられると点頭しづらいものがあるんだけどな。
「素朴な疑問じゃ何かまずいことでもあるのかよ」
 憮然として尋ね返すと、ミックのこめかみに野太い青筋が浮かんだ。コーカソイド特有の薄い唇が二度ほど無言のまま開閉する。俺は思わず飛んでくるであろう絶叫に対して両手の人差し指を両耳に突っ込んだが──。
 そこで、ヤツは何かを突き抜けてしまったらしかった。
 ミックはがっくりと、そりゃもう糸が切れた操り人形くらい見事にがっくりと、首を落とした。タイトルを付けるなら"脱力の像"。
「リョウ、あのな……」
 力を失った声は今にも泣き出しそうだ。
「オレは、おまえがようやくカオリの女性としての魅力をまっとうに確認する気になったのかって、実はちょっと喜んでやってたんだぞ。なのに『素朴な疑問』って。なんなんだよそれはよぉ……」
 その声音にさすがの俺も多少の罪悪感を覚えたが、同時にそこまで嘆かれるほどのことだろうかと途方にも暮れる。
 だってさ、それってちょっとおかしいだろ?
 ミックが香をカワイイって言ったからって、なんで俺があいつをかわいく思わなきゃならないんだよ?
 俺はひとつ咳払いをして、以上のセリフをそのままミックに告げた。
 

 結果、今度こそ完全にキレたミックが例のダーツもどきのノーマルバージョンに留まらず、教授がおもしろがって作ったという麻酔つきやら爆弾つきまで投げまくったもんだから、うちはもう、大変なことになった。
 ハッキリ言うとリビング半壊。
 そんな物をひとん()で投げるミックもミックだが、教授(あのひと)もなに考えてんだ……。
 幸いにして俺にもミックにも大きな怪我はなかったが、ダーツの矢に仕込める超小型サイズのくせに爆弾の威力はめちゃくちゃ高かった。なんせ、投げた張本人が「ふつう、あの程度の爆弾でこんなになるとは思わないよなぁ」と、本来置かれていた場所にそのまま留まっている家具類がひとつとしてないリビングの惨状を見渡して、乾いた笑いを浮かべながら言ってたからな。
「だよなぁ……」
 と、俺も引きつった笑いを浮かべるしかなかった。
 この後、うちに帰ってきた香に半殺しにされかけたのは、まあ、言うまでもないよな。
 ミックは、俺が香の火にガソリンを掛けるような真似をしたからだと言うが、俺に言わせればこっちの元々の努力を無にして人の質問内容をヤツがあいつにばらしたからだ。
「ミックが節穴の目でどう言おうと、俺がおまえを見る目が変わるわけなかろーが」
 それが、俺が改めて香にも言ってみた答えであり、俺に他の答えが出来ると思う方が間違ってる。
 そのせいで俺は瀕死の重傷を負ったわけだが。
 

 だから、くどいようだけど最初から言ってたろ?
 俺にとって、これは極めて素朴な疑問だったって。
 そもそも、あいつの本当にいいところだとか、本当の魅力だとか。
 そんな言葉じゃ到底足りないような全部。
 それは俺がいちばん知っ…………。
 ……………………、まあ、なんだ。
 俺としちゃ、今さら、人の言葉であいつを見る目が変わるわけがないんだってば。
 

<FIN>