≪ 憂国の竜 ≫
──序にかえて
グラン歴760年のその戦いは、俗に「イードの虐殺」と呼ばれる。
悲劇の英雄として名高いシグルド公子の親友にして義弟である旧レンスター王国の王太子キュアン、ならびにシグルド公子の実妹でありレンスター王太子妃であったエスリンの二人が率いる槍騎士団 が、当時、レンスターと敵対関係にあった旧トラキア王国の国王トラバント率いる竜騎士団にイード砂漠にて強襲を受け、ほぼ一方的に殲滅されたのである。キュアン王太子とエスリン王太子妃は、シグルド公子の最良の理解者であり、また無二の味方であった。王太子夫妻がその日、自国を取り巻く不穏な情勢にもかかわらず精鋭の
槍騎士団 を半数も率いてイード砂漠を北上していたのも、当時、叛逆者との汚名を着せられていたシグルド公子の援軍に向かうためだった。この友誼は長く民衆の間で美談として語られた。特にグラン歴771年以降、すなわちグランベル帝国の圧政が深まるほどに、それまで叛逆者と呼ばれていたシアルフィ公子シグルドの名は高まりを見せ、これに伴ってレンスター王太子夫妻を英雄視する風潮も高まった。
故にイードの虐殺は大きな悲劇とされたのである。
旧トラキア王国竜騎士団の悪名もまた、レンスター王太子夫妻の悲劇性を高めたものと考えられている。当時のトラキア竜騎士団は長らく傭兵として世界各地を廻っていたが、一国の正式な騎士団でありながら金のために戦場を駆けるという姿は、旧トラキア王国を除くほとんどの国にとっては甚だ理解の困難な振る舞いであったようだ。竜騎士団を率いていたのは若き国王トラバントであったが、彼の手段を選ばぬ戦いぶりもまた、非難の対象であった。
当時のトラキア竜騎士団に対してはハイエナという呼称が多数の文献に残されており、いかに彼らが蔑まれていたかが窺い知れるというものである。
しかしながら、後世、旧トラキア王国が置かれていた状況が明らかになるにつれ、旧トラキア王国に対して異なる見方が生まれた。
これは、その旧トラキア王国最後の王を取り巻く人々の、物語の一部である。