不完全相似性 
 

「えっと、それで……」
 そうしている内に、法介は黙りこくった茜に気がついた。茜は憮然と机の上に両腕を組んで、その腕の中に顎を埋めている。
「茜さん」
「なに」
「けっきょく、呼びにいかなくていいんですか? 成歩堂さんのこと」
 なんとなく言い出しづらい空気を感じながら法介がたしかめると、
「当たり前でしょ」
と、茜は即答した。
「なーによ。用って、つまりはデートじゃない。……邪魔しちゃ悪いでしょ」
「え?」法介は耳を疑った。「ええっ!?」
「だから! 声が大きいの! アンタは!」
 ひそめた声で叱られて法介はすみません、と首をすくめる。
「で、でも。だって、デート、なんですか?」
「そうでしょ」
 断定した茜は、それからいぶかるように目をすがめた。
「あんた、あの女性(ひと)のこと知らないの?」
「え? あのひとって……今、成歩堂さんが話してる相手ですか?」
「そう」
「いや……ちょっとよく見えないんですけど、知らない人だと思いますよ」
「ああ、そうなの? ふうん……。あのひと、たぶん成歩堂さんところが法律事務所だった頃の、副所長って人だと思うわよ」
「へえ……ええっ?」
 法介は慌てて再び窓越しに成歩堂のほうを向いた。今度こそ成歩堂ではなく、その話し相手の姿を探す。やはり人混みに紛れるほど小柄な人影のようだった。ちらちらと覗く長いと思われる黒髪と、紫の服が特徴的だ。どうも、良く見れば和装に思われる。後ろ姿からでは年格好はわからないが、少なくとも法律事務所の副所長という出で立ちではなかった。
「茜さんは、あのひとのこと知ってるんですか?」
「少しだけはね」
「副所長だったんですか? 成歩堂……法律事務所の」
「そのはずだけど。成歩堂さんの師匠っていう弁護士さんがあたしの姉の知り合いだったの。あのひとは、そのひとの妹さん。うちのお姉ちゃんとか、成歩堂さんからそう聞いた」
「はあ。じゃあ、その妹さんも弁護士だったんですか?」
「違ったと思う」それから茜は眉間にしわを寄せた。「なんか、カガク的じゃない職業だった気がする」
「カガク的じゃない……?」
「まあ、それはいいんだけどさ」
 カガク的じゃない職業ってなんだ、と思いながら、法介はちらちらと問題の人物を見てしまう。やはり、成歩堂が弁護士だった時代の副所長と聞いては、無心ではいられない。こちらから顔を見られないのが残念だった。
「ねえ」とそんな法介に茜が声を掛けてきた。
「はい?」と、法介は茜のほうを見ずに答える。
「あの女性(ひと)と、あたしってさ、似てると思う?」
「……。はあ?」
 法介は自分でも頓狂と思う声を上げて茜を見た。茜は相変わらず腕の中にカオの下半分を埋めて成歩堂たちのほうを見ている。その目だけが、またちらりと法介を見た。
「さっきさ、ちょっと言ったじゃない。成歩堂さん、仕事をえり好みしてたって」
「聞きましたけど」
「あたしもさ、最初断られかけたんだよね、依頼。後から成歩堂さんが言ってたわ。最初に断らなくて良かったって」
「はあ……」
「でね。成歩堂さんが、あたしの依頼を受けてくれた理由が、あの女性(ひと)
「え? どういう意味です?」
「さあね。でも、成歩堂さんが言うには、あたしが、あのひとに似てたんだってさ。うちのお姉ちゃんも、あのひとのお姉さんに似てたんだったかな」
「えっと、つまり……」
「あたしがあのひとに似てたから、成歩堂さん、あたしの依頼を受けたの。知り合いの子に似てたから放っておけなくなったんだって、いつだったか笑って言われたわ」
 憮然とした表情のまま、茜は体を起こした。
「起きていいんですか?」
「あの様子じゃ、こっちになんて気づかないわよ」
 茜はまだ残っているドーナツを一口大にちぎって次々と口の中に放り込んだ。もくもくとドーナツを呑み込む茜の手が汚れるのが見ていて忍びなく、王泥喜はペーパーナプキンを茜のほうへと進めた。
「何考えてんのかしらね、成歩堂さん」
「はあ……」
「よく考えればヘンな人よね。だって、あの時期はあの副所長さんがいなくて、弁護を受ける気がなくなってたんだよね、とか平気で言うのよ?」
「それは、なんというかコメントに困りますね」
「ノロケかと思ったわよ」
「はあ……」
「でも、あたしたちのおかげでひとりでも仕事を受ける気になったって。そういう感謝の仕方ってありなの? もう、ワケが分かんないわ」
「なんて言うか……」成歩堂さんて、元からテキトーな人だったんだな、と法介は思う。
「……でも、引き受けてくれたら、本当に一生懸命がんばってくれたのよ」
「……」
「ぜったい勝てないような裁判だった。真犯人が大物だったの。でも、成歩堂さんはまだ新人だったのに逆転してくれた」
「……」
「裁判の勝ち負けだけじゃないよ。本当にあたし、成歩堂さんに助けてもらったの」
 法介が黙っていると、茜は淡々と手についた粉砂糖を払って、頬杖を突いた。その視線が遠く、成歩堂のほうへと向けられる。
 茜の見つめる先では成歩堂が笑っていた。王泥喜はもちろん、みぬきに見せるのともまた違う笑顔で、そこにいるのは当然、法介の知らない成歩堂龍一だった。
「……あの女性(ひと)の前なら、成歩堂さん、ああいうカオするんだね……」
 法介は返事ができずに、窓の外の二人に視線を固定した。
 成歩堂が駅の改札のほうを指さして何かを言っている。何を言っているかはわからないが、呆れたような顔は「(おいおい……)」とでも考えているかのようだ。それからまた笑って、最後に二人は歩き出した。二人が手を繋いでいるように見えたのは、法介の目の錯覚かも知れない。
「ねえ、もしさ……」
 茜がぽつりと漏らした。
「……はい」
「もし、あたしのほうが先に成歩堂さんと知り合ってたら」
 法介は少し緊張して茜のほうを見た。視線が合って、茜は黙る。やがて、彼女は口を開いた。
「あたしのほうが先に成歩堂さんと知り合ってたら、きっと、依頼、受けてもらえなかったわね」
 彼女に感謝しなきゃね、と茜が笑う。
 法介は窓の外に目を向けて、茜の表情から視線をそらして言った。
「きっと、成歩堂さんなら、茜さんの依頼引き受けてくれましたよ」
「そうかな……」
「アレで案外、困ってる人を放っておけないタイプみたいですから」
「うん、そうね」
 と茜が笑った。今度の笑顔は本物だろうと、法介は思うことにした。


 

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