Intoxication
 
 
 
 
 彼は顔を覆っていた自らの両手を見つめる。彼の手は彼の顔と同様に醜くひからびて腐臭を放っていた。それと同時 に、その手はこの世のあらゆる人間の手より正確に動くことができた。そして、彼の両手はかつて、その正確さをもって幾人かの女を殺めるために使われた ことがあった。
 その殺害が、彼自身望んでのことだったのか、あるいは望まざる強制だったのか──彼が殺めた人間の数は決して少なくないので、おそらくその双方の場合が あったろう。だが、今となっては動機の在処など些事に過ぎず、そんなことにエリックの興味はなかった。彼にとって今も重要なのは、ただ死者たちの(まなこ)だと言えた。
 エリックは、自分の顔を見た女たちをとりわけ多く葬ってきた。彼の顔を見た女たちの数は、それが故意であったにせよ不意であったにせよ、存外少なくな かったのだ。中にはペルシア帝王の寵姫にそそのかされ、あるいは強要された気の毒な女たちもいたかもしれない。しかし、エリックにとっては、女たちに顔を 見られるエリックこそが気の毒だった。
 彼はその顔を自分から女たちに晒したいと思ったことがなかった。少なくとも女たちを殺すだけの力を手に入れた時分には、すでに「この顔を見せても受け入 れてもらえるのではないか」などという希望的観測は持ち合わせていなかったはずだ。だからエリックは自らの顔を大きな秘密として世界から隠した。
 だのに、エリックがそうして一所懸命に隠している秘密を女たちは暴くのだ。
 そうして、自分たちで暴いておきながら、女たちは現れたエリックの秘密に向けてけたたましく悲鳴を上げ、あるいは彼を悪し様に罵った。エリックに対する女たちの拒絶は外見の醜悪さがまるで罪だと言うがごとく激しかった。
 けれど、見た目の醜さはエリックの咎ではない。
 断じて、エリックの咎ではなかったというのに。
 したがって、エリックは罪に正しく罰で報いてきた。エリックの秘密を暴いたという罪、罪なきものを罵ったという罪に、彼は死を持って報いてきたのであ る。
 死んでしまうと女たちは皆静かになった。エリックは女たちを裁きとして殺したのであって、黙らせるために殺したこと、殺すために殺したことはない。だ が、いっぽうで彼は死んで静かになった女たちが嫌いではなかった。いったん殺戮という名の彼の抱擁を受け入れてしまうと、女たちはもう彼を口汚く罵ること もなければ、聞くに耐えない声で叫ぶこともなかった。彼女たちは実におとなしく、何より従順になった。
 だから、エリックは自分が殺した女たちを、息絶えた後もしばらく見ていることがあった。中でもマザンダラーンの宮殿の中庭で繰り返された光景は、今も印象に鮮烈だ。
 その庭は篭の鳥の生活に退屈する姫君たちを少しでも悦ばせようという慈悲に満ちていた。緑は深く、濃すぎる色の花々は毒々しいまでに鮮やかだった。その庭の中央でエリックによる刺激的な出し物が催されたのは、できすぎた舞台設定だったと言えるだろう。
 その庭の中央で、首をくくられた女たちは苦悶に顔をゆがめて倒れ伏した。
 青空に向けられるのはくるんと裏返った目の玉。
 光に晒された真っ白な面は触れてくれと言わんばかりに無防備だった。
 寵姫の願いもあって、エリックは罪人たちの最後の舞踊が少しでも長引くように縄を操ったこともある。
 すると女たちはその目を張り裂けそうに見開いて、眼窩からは眼球が飛び出しかけた。
 色を失った唇とは裏腹に、肌は紫や澱んだピンクに染まる。
 その肌は脂汗に濡れ、死後もすぐはひどく艶やかに見えた。
 口の端には黄色く濁った泡。
 血は流れない。女たちは、ただ自分たちが垂れ流した粗相の中に沈んだ。
 その宮殿の庭の美しさ、乾いた国の空の青さに比して、死んだ女たちの周囲は澱みに満ちていた。
 そうしてエリックが罰を与えた女たちは、皆生きているときよりも確実に醜くなった。それはエリックにわずかな親近感と、諦念と、失望を与えた。しかし、 死んだ女たちはもはや(決して)彼を拒絶することはなかった。
 だから、エリックは周囲に人がいないとき、そんな女たちの前で仮面を外してみることさえあった。死んだ女たちはうつろな目でエリックの素顔をじっと見つ めた。エリックは、女たちがかつて悲鳴を上げて振り払った手で、まだぬくもりを残す肌に触れてみたこともあった。女たちは腐敗した手でその肌をまさぐられ ても、何も言わず、何も叫ばず、飛び退くことも、身をよじることもしなかった。
 だからだろう。死んだ女たちは顔がいかに醜くなろうとも、エリックにとって美しい存在と言えた。彼の醜さを罵らず、拒絶もしない。そのまったき無感動は エリックにとって何より得難いものだったのだ。
 けれど、それは死者からしか得られぬはずのものだった。彼の顔を見て驚かず、顔を背けることも逆に指をさして笑うことも、罵ることもない、その完全なう つろは生者の中には存在しないはずのものだったのだ。
 だのに、クリスティーヌ・ダーエは生きながらにして死んだ心を抱えている。
 エリックは、その意味に気がついた。
 老いを厭うことはない。
 醜さにも動じることもない。
 そんな心はあの娘の中に生きていない。
 彼は転がり落ちるように期待する自分に気がついた。
 あの娘ならば、あの娘だけは、エリックを受け容れることができるのではないかと。
 生きた心を持っていない彼女であれば、彼の顔を前にしても、静かにほほえんでくれるのではないのかと。
 その姿を思い描かずにはいられない。
 エリックはついに歓喜に震えた。
 思い返せば、おそらくその予感は始めからあった。あの娘の心が死んでいることをエリックは初めから知っていた。ならば、彼が興味を抱かぬはずはなかった のだ。死んだ心を持つ娘。しかし生きている娘。ならば、あの娘は「エリックを生きて見つめられる」唯一の女になるだろう。期待を超えて、その妄想は一瞬で確信にまで 到達する。
 しかして彼は取り憑かれた。


 そうしてエリックは、さらに娘の観察を続ける。彼はその後の半年を掛けて、娘の心が死んでいることに確信を深めた。娘の心は、隠れている、眠っているという次元にはない。
 けれど、エリックはこの時まだ知らない。
 彼女に自らの存在を知らしめるために彼が用いた天使の名と歌声だけが、唯一死んでいた娘の心を呼び覚ますことを。
 彼女の心がまだ生き生きと輝いていた頃の小さな恋人が現れることを。
 何より、息を吹き返した娘の心が哀れなエリックのために真の涙を流すことなど。
 この時の彼は、夢にも思っていないのである。
 
 

< FIN >